デカルトの密室 [└ミステリー]
しかも、ハードカバーのごっついやつです。
「おもしろいぞ」と聞いたので、図書館で予約したのですが、
このボリューム。^^
あっ、きっと読まずに、返しちゃうかなと思ったのですが、、、、、、。
やー、一日半で夢中になって読み切っちゃいました。^^
『密室』とあるので、ミステリーかと思ったんですが、
近未来SFですね(ミステリー的要素は入っていますが)
デカルト哲学の話が出てきます。
→『我思うゆえに我あり』とか、「心身二元論」とか
けっこう、難しい言葉や解釈も出てきますが、
それほど気になりません。
ロボット、ネットなどの近代科学と人間の心との関係を、
縦から横から斜めから書かれています。
読む方によって、かなり解釈が異なる作品ではないでしょうか。
作者の瀬名秀明氏は『パラサイト・イブ』でデビュー、
ベストセラーになったと記憶しています。
ベストセラーは、敬遠派なのですが、機会があれば、読んでみたくなりました。
文章が上手なのでしょうね。内容の難しさを感じさせず読ませてくれる作家です。
海外ミステリーを読む(その51) [└ミステリー]
発表年 1950年 (国書刊行会)
とにかく、おもしろい!
パズル好き、謎解き大好き人間にはこたえられない!
作者のノーマン・ベロウ、はっきり言ってあまり有名ではない。
だって、本の著者紹介も、
「1902年生まれ、イギリスの探偵作家、生涯の大部分をオーストラリアとニュージーランドで過した。詳しい経歴は不明」というような事だけ。
ただ、その作風がおもしろく、近年、再評価されているんだそう。
21冊の長篇がありますが、ほとんどが、「密室殺人」「人間消失」などの、いわゆる不可能犯罪を取り上げたもの。
あまりに突飛で斬新な状況設定なので、人狼、幽霊屋敷、魔術というようなオカルト的な事件として、登場人物たちには受取られる(当然、読者へのミスディレクションを誘う)という風になります。
本作品も『魔王の足跡』という題名からも分かるように、魔王(悪魔)が出現して、残していった足跡だというオカルト的な色彩を持たしています。
しかし、この作品はあくまで、ミステリー、
しかも、「密室殺人」テーマの純粋なパズル、謎解きの味を持っています。
発端は、朝、村中を巡り歩く「一本」の蹄の足跡が、降り積もった雪の上に発見されたところからです。「雪密室」というやつですね。
警察までが、あまりの不可解さ、論理的に説明付けようとしても、説明しきれない状況の中で、オカルト的な結論になりそうになります。
なぜ、足跡は突然現れ、突然消える?
なぜ、生け垣の上を歩ける?
なぜ、建物を通り抜けられる?
なぜ、なぜ、なぜ、、、、、?
解明しようすれば、するほど、わからなくなってきます。
350ページほどの長篇ですが、あまりゴタゴタとした余計な事は書いておらず、「全編、謎解きを楽しんでね」という思いで作者は書いてくれています。
最後の解答編については、多少、不満の残る部分があって、それがなければ、カーなみに有名になってたかも知れません。
ちなみにこの本は、国書刊行会の『世界探偵小説全集』というシリーズのひとつですが、他にも、埋もれた名作やあまり知られていない作家の作品など、おもしろそうなものがたくさんありました。
海外ミステリーを読む(その50) [└ミステリー]
発表年 1977年 (早川書房)
「ユーニス・パーチマンがカヴァディル一家を殺したのは、読み書きができなかったためである。」
これは、この本の一ページ目、一行目に書かれている言葉です。
これは、この本の内容そのもの、
つまり、犯人とその動機までが、いきなり書かれているわけです。
ミステリ(推理小説)を読むときに、その楽しさを味わうために
最も知らせては(知っては)いけない情報が、いきなり書いてあるわけです。
まあ、もちろん「倒叙」という手法はあるのだけれど、
この場合はかなり趣きを異にしています。
さて、いったいこれから、作者はどう物語を進めて行くのでしょうか。
話は過去に戻ります。
犯人のユーニス・パーチマンの生い立ちから、カヴァディル家に雇われ、最後の殺人になってしまうまでの、数奇な出来事(あるいは平凡な出来事)を積み重ねながら、その心理が動いていく様子が、徐々に徐々に、不気味な不安を絡ませながら綴られていきます。
ここで一つ、大きなポイントが「文盲」ということです。
日本は、文盲率が低く、こうやってBLOGを書いたり読んだりする人、読書をこよなく愛する人には、まったくイメージが沸かないかも知れません。
文字が読めないということ、喋れるけれども書けない、読めない、分からない。
新聞、雑誌はもとより、街に氾濫する看板、案内板、ちょっとした伝言メモにいたるまで、奇妙な抽象画にしか見えない世界。
たとえば、外国語ができなくて、外国に行くとします。
でも、日本語を普通に読み書きしている人なら、経験則から推測したり、辞書を使うという事だってできるわけです。
でも、この作品に出てくる主人公には、総ての文字が、恐怖の文様でしかないようです。
しかし、だからといって、殺人事件にどう結びつくのでしょうか?
ルース・レンデル、
他の作品も読んでみたい人が、またひとり増えました。
PS、この作品はミステリなのでしょうか?
『黒いトランク』鮎川哲也 [└ミステリー]
小さい頃に読んだ本も含めて、
改めて、一から読んでみようと思い立ったからに他なりません。
ところが、ブログの性格上、
しだいに、「お薦め紹介文」になってきている事に気がつきました。
なにか、違うなあ、、、、。
あらためて、「ミステリ読書録」として、
今後は、マイペースで書いていこうと感じています。
海外ミステリーは、黄金期、古典、名作が主でしたが、
少しづつ、現代物も含めながら、さらに、、
最近、「日本物」が面白くって、そっちにかなり傾倒しています。
ですので、そちらもどんどん書いていきます。
なにせ、読書録ですから。ははは
で、いきなり、日本物
日本の本格推理物として、欠かす事のできない、鮎川哲也氏の代表作。
『黒いトランク』
発表年 1956年 (創元推理文庫)
時刻表を使ったミステリで、クロフツの『樽』とよく比較される名作中の名作。
ただし、ご本人は、横溝正史氏の『蝶々殺人事件』に触発されたとおっしゃっています。
駅止めで送られてきた、大きな黒いトランク。
持ち主がいつまでたっても現れない。
しだいに、変な匂いがしてくるので、警察官立ち会いのもと、開けてみると、、、
黒いトランクとアリバイを巡る、犯人と警部との頭脳戦。
とにかく、直球真っ向勝負の「本格」です。
また、鬼貫警部の事件としては、ちょっと特殊で、
事件関係者が皆、その旧知の友人、知人であること。
単なる犯罪捜査に留まらず、警部のひととなりを描いた作品でもあります。
鬼貫警部シリーズを今後読むなら、まず一番に読んでおくといいです。
書かれた時代が古い(1949年)ので、情景描写などは、ちょっと感覚が違いますが、
書かれた内容は今でも傑作、名作の座を譲らないでしょう。
また、時刻表なども使っていますが、
『樽』ほど読みにくくもなく(前回に続いて失言^^)、
むしろ、この私がいっき読みしましたので、
それだけ引きつけるものがあったということでしょうか。
海外ミステリーを読む(その49) [└ミステリー]
発表年 1977年 (早川書房)
独断と偏見で申しますに、
「色」もしくは「数字」がタイトルのミステリーは、おもしろい。
タイトルを見ただけで、面白そうだと感じてしまうのは、私だけでしょうか。
色系では、
『黄色い部屋の謎』『グリーン家殺人事件』『赤後家の殺人』『黒衣の花嫁』『赤い館の秘密』『黒後家蜘蛛の会』『青列車の秘密』『緑は危険』『赤毛組合』『黄金の十二』
日本では、歴史的名作『黒死館殺人事件』『黒いトランク』
数字系で、特にそそられたのは、
『三つの棺』『聖アンセルム923号室』『十三号独房の問題』『B13号の船室』など
この『見えないグリーン』も、ずっと読みたい、読みたいと思っていた作品。
305ページと比較的短い作品ではありますが、前半はちょっと読みづらい。
あとからあとから、新しい登場人物が出てきて、相関関係がね。
トリックは、いわゆる「密室」もの。
かなり有名ですが、分かりやすいと言えば分かりやすい。
殺人現場がトイレというのがユニーク。
二番目の殺人トリックの方がむしろ、おもしろいかも。
素人探偵サッカレイ•フィンの謎解きのくだりは、前半のもたつきを補ってあまりあるみごとな部分で、なるほどやっぱり名作なんだなと思ってしまう。
再読した方が、さらに面白味がでてくるタイプの作品でしょうか。
余談ですが、冒頭の書き出しは、映画の冒頭のように映像の浮かぶ鮮烈さとユーモアで、この部分も一押し。
見えないグリーン (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 103‐1))
- 作者: 真野 明裕
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1985/06
- メディア: 文庫
海外ミステリーを読む(その48) [└ミステリー]
発表年 1967年 (早川書房)
ミステリーの醍醐味は、パズルのような謎を解くことにある。
もっとも、ロスマクなどのハードボイルド系やアイリッシュのサスペンス系などの味付けの方を好み、クロフツのような、辛気くさい(ファンの方すみません。。)謎解きは、おことわりという方もいらっしゃるのでしょうが。
謎解きがお好きな方は、分類好きでもあるようです。(私もですが、はは)
で、ミステリーの謎解きは、いくつかに分類(公式というより、通説、一般的、マニアの間ではということですが)されます。
その中で、「安楽椅子探偵〜アームチェアデテクティブ」なるものがあります。
通常(現実世界)の犯罪捜査は、現場検証、証拠、証言集めなどをコツコツして、犯人を特定し、起訴にもっていくわけですが、
この「安楽椅子探偵」は、基本的に地道な捜査をしないで(現場に赴かないで)、聞いた情報と推理のみで、犯人を当てるという、スーパーマン的捜査手法なんですね。
ある意味、推理小説らしい推理小説といえるかもしれません。
すべては、推理によって導かれる訳ですから、日頃からの卓越した観察力と洞察力、また、人間心理や社会のしくみなど、博覧強記な頭脳が必要となります。
さて、この連作短編集 『九マイルは遠すぎる』も、その「安楽椅子探偵」のお話です。
主人公は、ニコラス(ニッキイ)・ウェルト教授。書き手のわたしが聞き手(ワトソン役)となります。
表題作の『九マイルは遠すぎる』がもっとも有名で、知る人ぞ知る名作です。
「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、ましてや雨の中となるとなおさらだ」
たったこれだけの文章、英単語にして、わずか、十一語のこの文章を基に、次から次から様々な推論が生まれてくる。
歩いた時間から、どちらへ向かって歩いたか、バスに乗らなかっただの、合図を待っていただの、どこをどうひっくり返したら、そんな推論が出てくるのか。
いささか、「風が吹けば桶屋が儲かる」的な感もあるけど、なるほど、推論(推理)というものの、楽しさ、奥深さを見事に書いていて感心させられる。
書籍店の棚に、通常よりも早く補充され、しかもスリップのないクロフツの『樽』を巡って(←ある意味くだらないんだけど)、論議を戦わせるという、有栖川氏の短編を思い出して、ミステリー好きって、どんなことでも謎にしてしまう、そして楽しめてしまう。まさに頭脳の格闘技。いいですねえ。
この作品では、最終的に、実際の犯罪捜査へと発展していくわけですが、そこは言わない方が良いですね。
他には、『わらの男』『10時の学者』『エンド・プレイ』『時計を二つ持つ男』『おしゃべり湯沸かし』『ありふれた事件』『梯子の上の男』とあと7作品入っていますが、個人的には、『おしゃべり湯沸かし』がおもしろかったですね。
だって、これは、湯沸かしの音を聞いただけで、事件の全容をあばいちゃうんですもん、しかも、理路整然としている。なるほど、なるほどです。うんうん。
海外ミステリーを読む(その47) [└ミステリー]
これって、本に限らず、映画、ドラマでもありますよね。
主人公に成り代わって、涙するとか、愉快、爽快、、、怒髪天、とか。
こういう場合、主人公はいいやつ。
読者にとって好感の持てる相手であるわけです。
たとえ、悪党!でも、ルパン三世やらゾロみたいに、「そんなに」悪どくなくて、ヒーロー然とした場合などでも、同じなわけ。
ところが、
性根の腐った「人非人」が主人公になると、これは、もう、話が違う。
この作品の主人公も、ほんとに、どうしょーもないやつ。
それに騙されて、前が見えなくなっている女の子にも、イララ、イララ。
「このやろーーーーー」みたいに、本に向かって、突っ込みを入れ、神の目線で怒り心頭となる。
ま、それが一種のストレス解消にでもなるのか、物語自身は面白い。
さらには、その「悪党」が、どうなるのか→無事じゃ済まさないぞ、作者!!!!→が楽しみで、ページを繰っていく。
というのが、この作品を読んだときの正直な心の動きですね。
アイラ・レヴィンの『死の接吻』です。
発表年 1953年 (早川書房)
ミステリージャンルとしては、変形の倒叙とサスペンスのミックス。
書き始めから、主人公が犯人なのは分かっているのですが、ちょっと工夫がしてあって、本当に誰が犯人なのかは、中盤以降でないとわかりません。
犯人がわかってからは、完全なサスペンス。
犯人(主人公)の最期がどうなるかを見届けて、本を閉じましょう。
ふー、満足。
アイラ・レヴィンは『ローズマリーの赤ちゃん』の作者でもあります。
映画も作られていますが、原作とは別物。
この原作のちょっと変わった倒叙の演出を、
映像に表現するのには、無理があるのでしょう。
本で楽しんでくださいね。
海外ミステリーを読む(その46) [└ミステリー]
発表年 1977年 299p(創元SF文庫)
正確には、これ、SFです。
でも、あえて、「海外ミステリー」として推したい一品!
五万年前に死亡した死体が、「月面」で発見される。
オーパーツ、宇宙、月、などSF正道の舞台の上で、
クリスティーばりの未確認死体発見事件。
なぜ、月面に、いるはずのない宇宙服の人間が死んでいたのか?
後半の二転三転する答えに、ミステリー好きの脳みそが
ワクワク踊り出します。
設定は、SFでも、謎ときの面白さは、もう本格ミステリーですね。
海外ミステリーを読む(その45) [└ミステリー]
アガサ・クリスティの『アクロイド殺し』です。
発表年 1926年 440p(クリスティー文庫)
紳士、淑女の皆様方へご注意申し上げます。
あまりに有名な作品であり、
そのトリックのフェア、アンフェアが、物議をかもした作品であるため、
後半部分は、犯人が誰かわかってしまう書き方をしております。
本作品を未読の方は、
この記事の後半部分を読まれない方が、
人生の幸せをひとつなくさない、懸命なことだと思われます。
この作品のどの辺りが、フェア、アンフェアの論争となったのでしょうか?
そもそも、フェアとは、アンフェアとは何なのか?
ミステリー(推理小説)はフィクションなのだから、作者がどのようにでもできるわけです。誰が死に、誰が殺そうが、誰が犯人だろうが、作者の勝手です。
では、ありますが、スポーツやゲームと同じく、あるルール、決め事の上で、自由にやらなければおもしろくありません。
では、そのルールとは具体的には何なのか?
まず、もっとも大事なのは、犯人を推理するのに「必要十分」なデータを読者に提示していることです。もちろん、巧妙に隠しながらですが。
犯人をみつけるために必要な、大事な情報を書かないのでは、どんな名探偵な読者でも、犯人を当てられません。これはまったくアンフェアなミステリーで、ある意味、ミステリーとは呼べないとも思います。
「クィーンの読者への挑戦」は、その作法の大事さを示しています。
そして、その次には、暗黙の了解的事項です。ここはダークゾーンの部分です。
「ノックスの十戒」「ヴァンダインの二十則」などに条文化されています。
ただ、必ずしも守られているわけではないし、守られていない作品にも名作があったりしますので、かなりダークゾーンなわけです。
一番分かりやすい例を挙げると、犯人を推理するとき、まず、容疑者が誰かを決めますよね。こいつが怪しい、という人。その中から犯人を絞り込むわけです。
では、容疑者から外せる人は?
まず、探偵さんです。特にシリーズ物に限りますが、探偵は部外者とみなします。同時にシリーズを通しての相棒もしかりです。
顕著な例は、ホームズとワトソン、ポワロとヘイスティングスなどですね。
そして、この相棒は、多くの場合、探偵に変わり、事件の顛末の記録係となり、
今読んでいる作品を書いている書き手とも重複します。
次には、事件担当の警部、警察官(事件が起きてから登場する人)などです。
次には、古典の場合、大きなお屋敷での殺人が多いわけですが、そこで雇われている執事、家政婦、料理人、メイドなどの召使いの人々。実は被害者と縁籍関係だったとか、お屋敷の主人と密かに結婚していたとかの場合はこの限りではありません。
いつの世も例外は(多々)ありますが、大概の場合、この人たちは、容疑者から外して差しつかえありません。
というか、そうしないと、容疑者が多くなりすぎますし、肝心の容疑者に対する注意力が散らされてしまいます。
上記の人が犯人の作品は、素直に、作者の勝ちとしましょう。
このへんを踏まえて、この作品をみてみます。
(以下、ネタバレ注意!)
海外ミステリーを読む(その44) [└ミステリー]
ジョン・ディクスン・カーの『猫と鼠の殺人』です。
発表年 1942年 285p
ちょっと変わったタイトルですが、
原題は、『Death Turns the Table』
英題では、 『Seat of the Scornful』となっています。
本の内容をなかなか推察しにくいタイトルに思えます。
カーはたくさんの名作を残していますが、この作品はどちらかというとマイナーですね。
得意の怪奇描写などはなく、シンプルに謎ときです。
ですが、さすがにカーの作品です、見事な謎ときを提供してくれています。
主人公は、冷酷に人を裁くことを信条とする判事。
この判事が殺人事件の容疑者になってしまう。
駆けつけた警察官に、殺された被害者のすぐそばで、
拳銃を握りしめているところを発見されてしまう。
当然、第一番の容疑者(というか、普通なら即、犯人ですよね)なのですが、
そうではない理由が、、、、いや、しかし、、、、でも、、、やっぱり、、違うのか、、、う〜ん。
と、カーと読者の裏のかき合いが始まるわけです。
探偵は、フェル博士。
少々、無理な設定もありますが、シンプルに謎解きを楽しめますよ。