海外ミステリーを読む(その45) [└ミステリー]
アガサ・クリスティの『アクロイド殺し』です。
発表年 1926年 440p(クリスティー文庫)
紳士、淑女の皆様方へご注意申し上げます。
あまりに有名な作品であり、
そのトリックのフェア、アンフェアが、物議をかもした作品であるため、
後半部分は、犯人が誰かわかってしまう書き方をしております。
本作品を未読の方は、
この記事の後半部分を読まれない方が、
人生の幸せをひとつなくさない、懸命なことだと思われます。
この作品のどの辺りが、フェア、アンフェアの論争となったのでしょうか?
そもそも、フェアとは、アンフェアとは何なのか?
ミステリー(推理小説)はフィクションなのだから、作者がどのようにでもできるわけです。誰が死に、誰が殺そうが、誰が犯人だろうが、作者の勝手です。
では、ありますが、スポーツやゲームと同じく、あるルール、決め事の上で、自由にやらなければおもしろくありません。
では、そのルールとは具体的には何なのか?
まず、もっとも大事なのは、犯人を推理するのに「必要十分」なデータを読者に提示していることです。もちろん、巧妙に隠しながらですが。
犯人をみつけるために必要な、大事な情報を書かないのでは、どんな名探偵な読者でも、犯人を当てられません。これはまったくアンフェアなミステリーで、ある意味、ミステリーとは呼べないとも思います。
「クィーンの読者への挑戦」は、その作法の大事さを示しています。
そして、その次には、暗黙の了解的事項です。ここはダークゾーンの部分です。
「ノックスの十戒」「ヴァンダインの二十則」などに条文化されています。
ただ、必ずしも守られているわけではないし、守られていない作品にも名作があったりしますので、かなりダークゾーンなわけです。
一番分かりやすい例を挙げると、犯人を推理するとき、まず、容疑者が誰かを決めますよね。こいつが怪しい、という人。その中から犯人を絞り込むわけです。
では、容疑者から外せる人は?
まず、探偵さんです。特にシリーズ物に限りますが、探偵は部外者とみなします。同時にシリーズを通しての相棒もしかりです。
顕著な例は、ホームズとワトソン、ポワロとヘイスティングスなどですね。
そして、この相棒は、多くの場合、探偵に変わり、事件の顛末の記録係となり、
今読んでいる作品を書いている書き手とも重複します。
次には、事件担当の警部、警察官(事件が起きてから登場する人)などです。
次には、古典の場合、大きなお屋敷での殺人が多いわけですが、そこで雇われている執事、家政婦、料理人、メイドなどの召使いの人々。実は被害者と縁籍関係だったとか、お屋敷の主人と密かに結婚していたとかの場合はこの限りではありません。
いつの世も例外は(多々)ありますが、大概の場合、この人たちは、容疑者から外して差しつかえありません。
というか、そうしないと、容疑者が多くなりすぎますし、肝心の容疑者に対する注意力が散らされてしまいます。
上記の人が犯人の作品は、素直に、作者の勝ちとしましょう。
このへんを踏まえて、この作品をみてみます。
(以下、ネタバレ注意!)
探偵はエルキュール・ポアロです。
相棒のヘイスティングスは出てきません
ここが、クリスティの罠の第一歩だったんですね。
『スタイルズ荘の怪事件』を始めとして、ヘイスティングスが語り手として作品が出来上がっている。
そして、この作品は、ジェイムズ・シェパード医師が語り手として、始まっていきます。この作品の書き手(語り手)なのですから、作者と同等ともとれ、完全に、部外者の位置に座ってしまいます。
だのに、彼が犯人だったわけです。
ここで、アンフェアとなったのでしょう。
ただ、よくよく読むと、ヘイスティングスの事件顛末記録とは似て比なるものがあるわけです。当然、犯人ですから、他人に読まれたら不都合な事は書かないのです。第三者的、顛末記ではなく、登場人物が書いている手記なのです。
書かれていない、空白を読めるかが、鍵なのかもしれません。
ポアロは、たった5分の食い違いから、シェパード医師を疑っていたと言っています。この5分間に関して、当然ですが、シェパード医師は何も触れていません。5分の道のりを10分かかった。
実際、現場にいるのならともかく、文章からの情報しか得られない読者にとって、5分の差をおかしいと思えというのはちょっと無理な気もします。
が、しかし、犯人を特定するデータは「一応」すべて提示されているわけです。
ミステリーファンではなくても、誰でもその題名は知っているだろうし、読んでいる人も圧倒的に多いミステリーのメジャー作品なのですが、その内容とトリックの巧妙さは玄人ごのみとも言えるのではないでしょうか。
ちなみに、わたしは終始、シェパード医師が怪しいと思って読んでいました。でも、論理的に犯人である理由付けをするには到らなかった。
どちらかというと、この作品の楽しみ方としては、あまり上手じゃなかったかなと思います。もっと、クリスティに足下を、すくわれた方がおもしろいのかも。
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